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そして、大変僭越ながら、当ブログは特定秘密保護法案に断固として対します。だって、真っ先にこういうブログがかれそうだから。
そして、2013年末に亡くなられた大瀧詠一さんに心からの悼の意を表します。どうか安らかに。夢は消え、歌は残る。
なお、このブログは定期更新で、且つ、ある程度まとめて原稿を書いて、小出しに更新する、というスタイルでおりますので、多少最新情報から外れることもありますが、その点は気長にお付き合いください。
ですが、何かと不便なのでまとまりのはじめの記事に「直線ち」というラベルを付けるようにしましたので、そこからお読み頂けると、スムーズに楽しめるのでは無いかと思っております。

2017年3月9日

3031回のギターの夢

には見えないが科学理論がこの世を動かしているのと同様、それを擬人化した神様の世界も、この世に遍く存在している。そう考えてもおかしくないはずで、つまりは、神様の世界はこの世のシステムと同義、と私は考えている。もちろん、今はそれの多くを科学に置き換えた方がわかりやすく、そこにまで神様を定義づけすることはしない。でも、例えば地鎮の神様、産土神、なんていうのは、全く科学的ではないけれど、なんとなく未だに信じられたりする。
曾てお大師さんが高野山に根本道場を開いた時、八咫烏に連れられて導かれ、その八咫烏こそ地鎮の神様だった、という伝承が残っている。だから寺を建てる前に、断りを入れるために神様を祀った、と謂われている。現代は、神仏習合以後なのであまり正確ではないけれど、だいたい寺院の敷地の片隅には、神様の社がある。それは、仏教を修行する地を下支えする存在として、その土地の守り神を祀ると謂う風習からだ。
そうするとますます、神様の世界がこの世の理、いわゆるシステム、であるような気がしてならない。目に見えることも、見えないことも、科学で説明できることも、出来ないことも、全てひっくるめたシステムを、古の日本人は、神様としてそれぞれの役割を与えたような気がする。変な言い方だけど、だから信じられるのは神様、という認識が私の中にある。例えば願い事を叶えてくれるように頼むのは神社、という程度で。

そのシステムの上に則って、様々な生き方を選択する。それが宗教であり、システムに対して、宗教はスタイルなのだ、という風に捉えている。スタイルは強固に信じられれば幸せだが、時と共に移り変わり、必ずしも一義的ではない。一方神様の世界は、システムなので、変えようがなくそうなってしまう。抗えないし、もうひとつ神様には大変大きな特徴があると思う今日この頃。左翼でもないけどね

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