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そして、2013年末に亡くなられた大瀧詠一さんに心からの悼の意を表します。どうか安らかに。夢は消え、歌は残る。
なお、このブログは定期更新で、且つ、ある程度まとめて原稿を書いて、小出しに更新する、というスタイルでおりますので、多少最新情報から外れることもありますが、その点は気長にお付き合いください。
ですが、何かと不便なのでまとまりのはじめの記事に「直線ち」というラベルを付けるようにしましたので、そこからお読み頂けると、スムーズに楽しめるのでは無いかと思っております。

2017年3月4日

残精感

教を手始めに宗教観を身につけた私だけど、他の宗教も似たようなものだろう、と思っている。そのことは後で説明するとして、だから共通項として、この世で生きることは苦しみに晒されることなのだ、ということはどうやら間違いないようだ。そこで開き直れれば、宗教なんていらない。もっと言えば、更にもっと苦しみを、来世ももっと酷い苦しみを、なんていう人が現れれば、宗教はその時終わる。少なくとも仏教は。末法の時代だね。なるほど末法の時代とは、マゾヒズムの蔓延した時代だから、現代と云っても過言ではないな。
それはさておき、例のピプルレ騒動に話を戻してみよう。彼女はきっと、気づいたのだ、この世は苦しみに満ちあふれている、と。それは今まで教義の中の現実味の無い話だったけれど、実際社会に出て、自分の心と現実の齟齬に気づいてしまった。それを苦しいと感じる自分に気づいたのだ。だから解決方法を探った。彼女の場合、そこにまず宗教があった。信じれば救われると説く宗教があった。そこに逃げ込んだ。
かの教団がどういう教義を説いているのかは判らないけど、私の宗教観に照らし合わせるなら、苦しいことは変わらない。それこそ、オウムのように苦しみから解かれる世界を自分で構築する以外に、苦しみから逃れることは出来ない。苦しみはそこにあり続ける。彼女が選んだ道はそれを、宗教というサングラスで見えなくしただけ。彼女が本当に救われるのは、これから修行し、教義が説く正しい(とされる)道を歩んで後に、死んでから現世に戻ることなく極楽浄土に留まって初めて、救われたと実感できるのだ。

まぁ、宗教家がその通りに彼女に言ったかどうかは判らない。さっき云ったように、宗教が説くのが道徳ならば、様々な正義による道徳が存在するのだから、必ずしもそれが今の日本の社会の規範に沿うかどうかは判らない。しかし一般的に社会と仲良くしていこうと思うなら、互いに話し合って落とし所を探ることを説くのも、これまた宗教の役割ではないか。現代カルトと呼ばれる宗教が、忘れているのがその社会との軋轢を生まないようにするのも正しい道だ、という認識だと思う今日この頃。小林製薬辺りに

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