ご注意

このサイトはアダルト・サイトです。詳しくはわかりませんが、ご覧の国の律に従って閲覧してください。とりあえず、子供は十年いよ、一昨日来やがれ(笑)。
そして、大変僭越ながら、当ブログは特定秘密保護法案に断固として対します。だって、真っ先にこういうブログがかれそうだから。
そして、2013年末に亡くなられた大瀧詠一さんに心からの悼の意を表します。どうか安らかに。夢は消え、歌は残る。
なお、このブログは定期更新で、且つ、ある程度まとめて原稿を書いて、小出しに更新する、というスタイルでおりますので、多少最新情報から外れることもありますが、その点は気長にお付き合いください。
ですが、何かと不便なのでまとまりのはじめの記事に「直線ち」というラベルを付けるようにしましたので、そこからお読み頂けると、スムーズに楽しめるのでは無いかと思っております。
ラベル アダルトヒストリー の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
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2016年12月30日

童貞すべり

ば私の中では無修正に手を出す、という時代が終わったのかな、という気にさえなっています。正直、自分でアフィリエイトやって於いて言うのもなんですけど、無修正は壁にぶち当たって面白くなくなっている。そこを打破しようとして、幾らか過激な方に針が振れるのは仕方がないけれど、どこかそれは危うすぎて自分で自分の首を絞めているような。あのもっと密やかな、唸るような趣が少なくなってしまったなぁ、という気がするのです。
その反動ではないですけど、生まれて初めて、でもないですけどDVDとして初めて、アダルトビデオ、という者に嵌まった。ココで前に話しましたけど、私の初めてのポルノは無修正だった、という経験のおかげで、幾らか達観というか今更モザイク入りなんて、という先入観がありました。が、それがなんとなく、自分の視界を狭くしているような気がして、ちょうど良いきっかけ、と思って手を出したのが、麻美ゆまさんの作品でした。
今はお手軽に、また安価で長時間の総集編みたいな物がたくさん出ている。女の子は綺麗で、じっくり楽しめる。わざわざ危険を冒して無修正ばかり漁っているよりはずっと、安全に楽しめる。モザイクが性的興奮を貶める、なんて思い込みは、全く間違いだったと今更ながら目から鱗が落ちる思い。すると果たして何が、私の琴線を振るわせるのか、というまた別の疑問も出てきますが、それはさておき、充分モザイク入りでも楽しめる、というコトに気がついたのが、今年一番の収穫でした。

そういう意味では今年は久しぶりに、アダルトに関して自分の中のブレイクスルーの年ではあったわけです。おかげでたくさんのインスピレーションも湧いて、ココもわりと頻繁に更新することが出来た。まだまだ私の中に幾つかの「縛り」はあるのですが、それを解きほぐしていく糸口も、仄かに見えているような気がします。そして、このブログを更新しているおかげで、もうひとつの今年のエポックが、訪れました、今年最後の更新はそのことについてバリッと語ろうと思う今日この頃。きっと来年も訃報は続くでしょう

2016年7月31日

朝から裏ビデオ

からネタが無い時は裏ビデオのレビューを、と言い続けて、なかなかできていないのは、ネタが無いことが無いからで、まぁ、それだけアダルト業界は活気づいている。単純に私の好奇心が尽きないだけかも知れないけど。しかし、ちょっと最近、気に掛かったことがあるので、話のついでだからものは試しに話してみる。それが「時にはオモテのように」という裏ビデオ。ネットで検索すればわりと簡単に見られると思う。
おそらく私が一番最初に買った裏ビデオ、だったと思う。例の先輩か、友人宅で見たのが印象に残っていて、それが見たい、というより本当に買えるかどうか試してみる時に、タイトルを覚えていてセレクトしたのだった。もちろん田舎暮らしの私は通販でね、一本三千円ぐらいしたと思う。送料が千円で、振込手数料、あるいは現金書留の保証金だかが五百円ぐらいかかったね。
その頃から裏ビデオ通販の本場は関西で、私は買う度に業者を変えていたけれど、何れも大阪ミナミ、日本橋とか難波とかその辺の住所。で、余談だけど、現在は無修正DVDの本場は歌舞伎町と、実物通販はまだ大阪が拠点になっている。それがね、つい最近またしても悲劇を生んだのよ。あるDVD通販のショップが摘発されたというニュースが舞い込んできた。

そこは今のこの時代に一本千円で、オマケが一本付くけど、割高感は拭えない。でも、いわゆるダウンロードモノを擦ったのではなく、マニアモノと呼ばれる個人撮影、熟女モノ、そして洋ピン時代のアメリカンポルノを扱っていた。アメリカの大量に在庫を抱えた業者が潰れてからは、数はグッと減ったけど旧い裏ビデオも扱うようになっていて、そういう意味では大変貴重な業者だった。それがついに司直の手が入ってしまった今日この頃。
もしかしてテレビの何とか24時でも?大丈夫、すべての未来には理由がある。

2016年5月29日

無修正の伝統

熱はその後画像を止めて、動画サイトに移行する。それが発展解消されて東京熱、Tokyo-Hotが誕生する。それと相前後して、とにかくえげつなさを前面に出したJPExpress、陵辱に特化したDMS、そして無修正のオモテビデオというと変な言い方だけど、トップクラスのモデルを無修正で見せる「カリビアンコム」などというように、ネットのアダルトは、動画の時代という、もうひとつの潮流へとなだれ込んでいく。
このシリーズの最初に話した亜熱の動画とは、東京熱が生まれる直前の亜熱末期の作品。趣は、完全に東京熱のパイロット版、という感じで、もう独特の世界観を醸し出している。台詞も日本語を喋るようになっている()。もうあからさまに何もかもが見えているのは当たり前になっているので、簡単に言えば如何に女の子を男の欲望のままに好き勝ってやるか、を追求している。
ちなみに今、コレを書いている最中にエディターの横に小さく表示させて流しているヤツは、電車の中で男たちが寄ってたかって裸にするは、チンポを口に突っ込むは、玩具を挿れるは、最後にはみんなでザーメンぶっかけて、そのまま帰って行く。東京熱も、この辺を踏襲していて、それを未だに続けているのはもうコレは伝統というか、文化というか、それぐらいのレベルに達していると思う。

多少亜熱→東京熱の流れで、陵辱、という概念が引き上げられたというか、普通になったというか、とにかく玩具や輪姦が、アダルトの世界では当たり前のアイテムになったような気がする。もちろん、それまでにもなくはなかったけれど、あくまでそれはSMという特殊な世界の特権だった。それがプレイとして一般的になったというか、まぁ輪姦は一般人には無理でも、玩具は誰でも買えたり使えたりするのも、やはりそれはネットというインフラのおかげだと思う今日この頃。日本と無修正の橋渡し

2016年5月28日

無修正御三家

熱自体が偉大なアダルトサイトの老舗だったわけで、大きな反響を呼んだのだけど、最も大きく花開いたのは、やはり動画を配信し始めてから。その端境期は、インフラが整備されて環境が整い、そして亜熱からも無修正のスターが生まれた。それが仲村みなみと銀河蘭、そしてトドメに桜田さくら。まさしく無修正アダルト・スターのレジェンド三人組。それぞれ好みはあるだろうけれど、とにかくキレイで何でも見せて何でもやる三人衆。
個人的には仲村みなみが私の好みで、私の中で美少女、というモノの定義を形作るのにかなりの影響を受けた。というのも、美少女、と呼ばれて私の中に浮かぶのが、映画「シムソンズ」や「女子ーズ」に出ていた藤井美菜という女優さんなんだけれど、それがなんとなく仲村みなみに似ている。どちらが先か、といえばそりゃ仲村みなみの方が先なんだけど、それほど後々祟るほど、衝撃を受けた、ってコトです。
そのスターを輩出した辺りで、ネットはまた大きな分岐点を迎える。ひとつは、ネットが本来持っていたフリーの概念がアダルトの世界でも幅をきかせるようになった。裏本はもう無料で手に入る時代になって、裏本を餌に広告収入で糧を得る、というようなサイトが増えていった。未だ裏本は、ちゃんと現実の裏の世界でしっかり流通し、ブームすら起きていたのだけど、それもなんとなく裏本サイトへアップされるために制作されているような、奇妙な現象が起こっていた。

そのフリーという概念は、究極的にはP2Pという技術に流れていく。Winnyshareというソフトがそうで、いわばそこまで加熱した、と言えなくもない。だから、当局も動き出すようになったし、DRMだの鍵だのコピーガードなどと、課金のための技術が進んで、反動のようにちゃんとお金儲けが出来るシステムが確立した。ちなみに、それでも未だに数万人のWinnyユーザーがいるらしい、と先日ネットで知った今日この頃。まぁ、考えてみれば普通のことですが

2016年5月26日

湯河原の別荘でエロ動画

ットに繋げれば日本でも無修正のモノが簡単に手に入る、という常識はその頃から確実に広まっていった。それを可能にするために一応建前として、アメリカで開かれているサイトを見ている、という建前が必要だった。世界に開かれているインターネットだから、つまり前回最後に話したように、アメリカのTOWER RECORDSでだって買い物が出来るのが、利点の一つだった。
今でもそうだけど、無修正サイトは一応サーバーがアメリカに置かれているのが基本。管理者なんて名義だけのモノだけど、一応現地人、アメリカならアメリカ国籍が必要。それも今は、ほぼシステムの中に埋もれてしまっているけれど、亜熱の頃は未だその辺が曖昧で、だから体裁だけでもアメリカのサイトです、と説明する必要があった。だから、亜熱というのは通称で、あくまでもサイトはASIAN-HOTである、と。
課金が英語だったのは、日本にそういう会社がなかっただけなのだけど、あとはサイトもすべて英語表示。日本語はあくまで、サブで表示されているだけ。もう間違いなく、日本人向けのサイトなんだけど、体裁だけは英語が母国語。だから当時、ネットを閲覧するのに英和辞典は欠かせなかった。今ならそれもネットで翻訳、となるけれど、まだまだそんな時代ではなかった。2ちゃんねるだって無かったんだから。

そうやって画像販売サイトとして亜熱は誕生したわけだけど、そのうち、チョコチョコと動画を上げるようになる。今ならガラケーでもそんな低画質の動画は見ねーよ、というぐらいの粗末なモノだったけれど、その為にみんなこぞってリアル・プレイヤーをダウンロードしたモノさ()。フリーが主だったけど、有料版もあって、だけど違いが良く分からなかった。それでも、いよいよネットのアダルトも動画の時代が来た、って胸を熱くしたことが甦る今日この頃。案の定クリックすると仕事場で・・・

2016年5月24日

第三者の卑猥な目

単に言えば、とりあえず昔はネットは遅くて、低容量なものだった。低容量とは多少語弊のある言い方ですけど、今の高速回線に比べて、何しろ遣り取り出来るデータ量がかなり小さかった。その頃プログラムの勉強にコンパイル・ソフトをダウンロードするのに、半日かかってました。たったの100MBですよ()。その間、電話は使えないので、良く家族の者に怒られました。
小さなものしか遣り取り出来ない時代でしたから、ホームページも動画よりも画像中心。表示速度が、画像を表示するのを待つのにやっと我慢出来るレベルでしたから。そんな時代に隆盛を誇ったのが、裏本でした。裏本自体は昔からあったモノですが、それをスキャンしてホームページに並べればそれでもうエロサイトが出来上がり。中にはそれで課金してぼろ儲け、なんていう人もいたりしました。
だから亜熱も元々は、画像主体でした。ワタシはその頃からそういう裏ビデオ、裏本のように、裏と着くとすぐ飛びつく性癖を持っていたので、亜熱の存在は、もう大量の裏本をダウンロード出来るサイト、として知りました。もちろん、有料ですが、とにかく数が半端なかった。おそらくは、有史以来の裏本と呼ばれたモノは、すべて網羅していたのではないでしょうか?それぐらい、タイトルが豊富でした。

裏本を客寄せにしていたのか、あるいは裏本スキャンが原点なのか、ワタシにはわかりませんが、亜熱を知った時にはもう、同時並行でオリジナル画像も販売していました。裏本はページまとめて一週間の料金。オリジナル画像は一人のモデルで百枚程度だったと思いますが、一作品をやはり一週間での料金設定。その一週間の間に、ダウンロードをするのがその頃の深夜のお仕事で()、今のようにダウンロードソフトなんてない頃でしたから、Windows標準の同期、というシステムを使って落としてのを懐かしむ今日この頃。ワタシの家の目の前でデート中

2016年5月23日

ピヨピヨパッパカ

れこれノートパソコンを使い始めて数年経つのですが、やっとスリープというモノに馴れたしま♪さんです。ノートパソコンを開くとだいたい、無修正ビデオが流れるようになっています()。まぁ、直前まで見ていた、っていうコトでそのように設定しているわけではありませんよ。まぁ、テレビの画面でもしょっちゅう、裸のお嬢さんが踊ってはいるんですけど。
最近は、なぜか亜熱の動画ばかり見ています。何年か前にネットに転がっているモノをかき集めたことがあって、今ではかなりレアな動画になっているようです。まぁ、今でもアーカイブのようにDVD屋さんにはカタログに入っているところもあるようですが、今はもっと高画質で、キレイなお嬢さんがもっと過激なことをやっている動画がたくさん出回っているので、動画のみを見比べるならそれほど需要があるとは思えません。
元々亜熱=Asian-Hotはネットがようやく一般に浸透し始めた頃に登場した老舗、無修正サイトで、最初は画像がメインのサイトでした。ネットの黎明期には、インフラが全然追いついておらず、ワタシがネットを始めたのはWindows98SecondEditionの頃でしたが、回線は電話回線!しかもアナログで、いちいちプロバイダに電話をかけて繋いでいたんですよ()

その辺の詳しい話は、多少恥ずかしい話が満載なので控えますが、とにかく常時接続なんて夢のまた夢、光回線が家庭に来るなんて思ってもみない時代です。光ケーブルはKDDが海底に沈めているだけだと思っていました。まぁ、それでもちょうどアナログ回線が、今の常時接続へと変遷していく過程をつぶさに見、また追っかけられたのですから、それは今となっては貴重な体験をしたなと思う今日この頃。オマケにNECだぜ

2015年12月29日

勇者ライヒーン

器用な射精を、他人が憧れるほど華麗に見せることの難しさは、それがより生身に近い作用であるほど、結局作為を必要としてしまうのです。簡単に言えば、中出しだろうが、顔に掛けようが、男の側の鍛錬プラス、女性の協力も必要としてしまう。それを見せるのがプロなのですが、プロだからそれが仕事になる。綺麗に見せる仕事をすることになる。それが結果、リアリティーというモノと距離を作ってしまったような気がします。
昭和の裏ビデオは、その辺いってみれば失敗作のオンパレード。でも、それが現実なのです。誰もが体感するリアリティーなのです。だからこそ、最近の無修正動画にはない、生々しさがある。作為が表に出てこないから、それが実際目の前で起きていることを錯覚できる。ひいては自分がその世界にいるような妄想を引き起こすのだと云うことに気がついたのです。
レイプモノで顔射はまだ許せるとして、コンドームはどうかと思う。女子高生に中出し、コレも現実的にはあり得ない。現実的に見せるには、何か言い訳が必要。その辺、アダルト動画に限らず、例えば官能小説などもその辺をおざなりにすると、リアリティーが失われてしまう。つまり、エンターテイメントではあっても、セックスが現実と密接に関わり合っている以上、ファンタジーばかりが席巻しては興を削ぐ、未来が暗い、ということだと想います。やはり妄想を下支えするのは、強力な現実感、リアリティなのです。

しかし、不器用さをそのままではやはりそれも不都合がある。不器用な時ばかりではない、というのもまた現実で、その辺を努力の上に獲得したモノも居るというのがやっかい。だいたいそれは男優さんとかになっているのですけど、いわゆるコントロールできないモノをコントロールする、という部分のリアリティにはもう一度再考の余地があるのではないか、と思うのです。昭和の裏ビデオに溢れる拙さは、実はリアリティーの最高のスパイスなのです。それがもっとも大事な射精シーンで失われていない所に生々しさがある。そこを現代のエンターテイメントで、いかに取り戻すかが、おそらく新たな未来を開くと思う今日この頃。来年はビートたけしと堀内敬子押しで

2015年12月21日

ドッパドッパ


イトルバック、とくにスーパーと呼ばれるモノが、どれくらいのレベルの編集機に搭載されるようになっていたのかはわかりませんが、ちゃんと合成されているモノから、なんだか幻灯機を重ねたような拙いモノまで、その時代のビデオには混在しています。レンタルとかあったのかどうか、今のように民生レベルというわけにはいかなかったはずですから、その辺でスタッフグループのプロとの距離が見えるような気がします。
水曜どうでしょう乃DVD副音声で、地方局のシステムではまだスーパーインポーズを自由に出来なかった、というような話が出てくるので、それよりも遙か前の話なので、なかなか素人に手が出せるものではなかったはずです。かといって家でちょこまか出来る時代でもなかったわけですし、聞く所によると、在京、あるいは関西のテレビ局の編集室が遣われた、スタッフもその周辺から集められた、という裏技もあったようです。
スーパーはタイトルだけに入るものではありません。時々最後のエンドロールに挿入されることもあります。中には凝った終わり方をするような、映画的な場面で終わる時もありますが、だいたいが、セックス後のベッドの上の女の人から、ピントがぼやけて「終わり」と出る、みたいなものが多い。これまた誰もが考えつきそうな王道ですが、やはり「愛の遍歴」のように、物語にオチがある終わり方も、また趣があってよいモノです。

オチは結局アダルトなモノは総じて、射精でカタがつきます。とりあえず中だろうが、腹の上だろうがオマンコに向けてでも、ドビャーッと射精すれば、話は終わるのです。そして、その射精がもうびっくりするぐらい大量とか、え?こんな所に?的に見栄えがすると、それだけで物語が締まって見えるものです。個人的にですが、海外の無修正動画なんかは、もうそれだけで見応えがあるというか、ドッパドッパ出ているザーメンを見るだけで満足する今日この頃。溜めすぎてもダメ

2015年12月19日

キャンバス・ギャル

学生なら、大学の前を歩かせば善いんじゃね?というあまりにも単純な方法ですが、結局それ以外にわかりやすい方法は存在しません。特別でも何でもないですけれど、結局それが王道なんです。もちろん、それでも完全な説得力ではありません。でも、実はそのぐらいで別にかまわないのです。要は、セックスを見せたいわけです。ただ、セックスを見せるだけではない言い訳が必要なのですから、王道もこれまたまかり通るのです。
「キャンバス・ギャル」という裏ビデオがあります。実はあまり良い作品ではありません。何か貧相な女の人が、セックスするだけの作品なので、それほど他と何か驚くほどの差があるか、というと見当たりません。ただ、タイトルを見ると、ああ大学生なのだから奔放なセックスをするのだろう、という期待は抱かせます。若いセックスは拙いモノですが、見ている方はもっと別のことを勝手に妄想するわけです。
それで冒頭、女の子に大学の前を歩かせます。門の前を歩きますが、中に入るわけではない。もちろんキャンパスのシーンもない。でも、大学生らしき人に交じって女の人はその辺を歩いています。しかも、ダメ押しのように看板が移ります。そこには「立教大学」の文字が。そこは佐野元春さんも通っていたあの立教大学です。ワタシは当時の偏差値がどんなモノか知りませんけど、頭の良さげな女の人がセックスするのだ、といらぬ妄想に期待を膨らませてしまいます。

しかしちょっと待てよ、いくらイリーガルでひっそりと流通するだけのモノと云っても、さすがに実名、それもハッキリとそこまで映して大丈夫なのか?まぁ、一般映画のように大学に交渉して、場所を借りる、あるいは架空の大学をでっち上げて美術さんが看板を付け替える、なんてことを裏ビデオが出来るはずありません。スタッフも五人もいないと思いますし。さすがに立教大学がそれを知ったら怒られるんじゃないか?と思うのですが、実は凄い仕掛けがしてあった今日この頃。東京熱高校とか(笑)

2015年12月18日

童貞スキャンダル

に女子高生も若さの象徴として流通するのですが、その前に援助交際、というステップがありました。女子大生の中には二十歳を超え、好きにセックスしても法律的にはOKでしたから、環境その他を考えても納得できたのです。それよりは女子高生の方が若いのは当然ですけど、そちらは完全に当時からもアウトでした。金八先生で中学生が子供を産みましたが、アレはもう前代未聞のスキャンダルだから、話が成立したのです。
ただ若いだけの女子高生を、セックスに繋げるには法律を犯すしかなかった。その橋渡しをしたのが、援助交際です。売春は法律違反ですが、援助交際も同じです。けれど何となくグレー?と思わせることに成功したので、本当はダメですけど、何となく、セックスしても善いかな、という気になり、一時期女子高生モノ、ルーズソックスモノ、というより、援助交際モノが幅をきかせたのでした。
それはさておき、まだまだ昭和の時代は、セックスに若さを求めるなら、童貞か女子大生ぐらいが関の山だった。これまた話が戻りますけれど、童貞も女子大生も見た目ではわからない。この際童貞は於いておくとして、女子大生も、それらしい格好は出来ますけれど、まだまだ高卒で就職するのが普通の時代でしたから、なかなかそこら辺の街を歩いている者と、女子大生という属性の区別を付けるのは難しかった。

一番いい方法は、本人に喋らせることなのですけど、カメラの前になると結局台詞になってしまいます。素人の話す台詞ほど興ざめする物は無い。そういう意味で最近のアイドルさんは、上手に台詞をこなすモノです。しかし、カメラの前に喋るのも裸になるのも初めての女の人に、女子大生、ということを口にさせるのはあざといですし、またどこか嘘くさくなる。映像をかじった人間はその辺にもちゃんと説得力を持たそうと考えた涙ぐましい作品がある今日この頃。女子大の大学生なのか女子の大学生なのか

2015年12月17日

淫乱で御座いマース

像関係の詳しいことはわかりませんが、撮っている方にはある程度心得ている者が多くあったと聞きます。だから、わりと物語然、とした作品が初期の頃にはたくさんあった。ただし、其れはあくまでもセックスするためのエクスキューズであり、何故その女性が、あるいはカップルがセックスするかの言い訳のための物語でした。素人モノと呼ばれる世界との違いは、まずその言い訳が最初にあることです。逆に言えば、その言い訳が拙い、あるいはないのは駄作なワケです。
「マンコの女」も実はその物語、という意味ではありふれていて、いわば拙い部類に入ります。けれど、男がヤクザ、という一点がその言い訳の大部分をOKにしてしまっている。ヤクザだから、さんざんセックスして、女がよがるのも当然、という部分で、もう納得してしまうのです。オチンチンが大きかったり、真珠が入っていたりというのも、実は言い訳としてはかなりの部分、何でもありにしてしまう秘密兵器でもあるのです。
逆に女性のオマンコがどんなに名器でもそれは表に表現するのが難しい。そこで出てきた属性が、淫乱です。淫乱だから男と見ればセックスするのよ、という理由がクッキリする。では果たして淫乱ということをどう見ている側に伝えるか、そこが大事になってきます。でも案外、スナックのママ、とかそういう属性で納得したり、あるいは見た目()。女性には怒られそうですけど、淫乱な見た目をした女性というのは居るモノです。

同時に、当時は女子大生、というのがエクスキューズとして成り立っていました。今同じように女子高生、という属性もありますけれど、それはどちらかというと若さを代弁している。もちろん当時も女子大生は、若さを象徴していたのですけれど、そこにはセックスしている若さ、という注釈が着いていました。女子大生と聞くと、親元から離れて自由奔放、=簡単にセックスできる、セックスしている、と何故か信じることが出来た幸福な時代だったと思う今日この頃。黒木さんが同級生のイズ〇ちゃんに似ていることに昨日気づいた

2015年12月16日

麗名器

わぬ方向へ話が飛びましたけれど、つまり裏で手を引く存在があっても次第に撮影チームは堅気の人間、ということが一般的になってきました。しかし、昭和の裏ビデオがまかり通っていた時代、日本のアダルトの世界は表も裏もまだ創生期でした。いわば作っている側も出演している側も、だいたいが素人ばかりでした。それなりにアマチュアとして腕は鳴らしていたのかも知れませんが、完全なプロとは言いがたかった。だからこそ熱い時代でもあったわけです。
先日ちょっと調べてみたのですが、私の中の認識として裏モノがはびこる時代に、もうアダルトビデオと呼ばれる表の世界が確立していたように思っていたのですけれど、どうもそうではなく、実際はほぼお互いにシンクロしながら発展していった、というような歴史を辿ったようです。実際に表の方が伝統的なピンク映画もありましたから多少は先行しましたが、ほぼ並行的に裏の世界も走っていたようです。
表には出なくなったけれど、スタッフとしてはいくらかヤミの世界の息のかかった人もいたようです。代表格が、例の村西御大で、今なら半グレからのし上がった、というような感じでしょうか。まぁ、あの人は表に鞍替えして人前に出るようになってましたけれど、元は裏方の人ですけれど、ちょっと異質ではあった革命児なので、単純に例として上げるのは間違いかも知れませんが。

とにかく、アダルト業界自体が混沌としていた時代なので、とりあえず試行錯誤、そしてそれに伴うエラーもけっこうあった。素人は素人なりにプロの世界に近づこうという気概と、それなりの誇りを抱えていたようで、だからこそ、粗製濫造、でも面白い時代だったろうな、と今になって俯瞰して思うのです。実は無修正の時代の初期、ネットの黎明期にも同じ様な熱い時代はあったのですが、それはまた別の機会にお話ししようと思う今日この頃。例えば〇黒&〇森さんカップルとか

2015年12月10日

三倍モード

在ネットで流通している昭和の裏ビデオも、おそらくは個人所有のダビングモノを、パソコンにキャプチャーしたモノがほとんどだと思います。元々業者経由、というのもないわけではないでしょうが、いずれにしてもビデオテープが原盤であることは間違いなく、現在のデジタルの隆盛にはとても間に合わないモノが、元になっているのですから、逆立ちしても高画質を謳うわけにはいけません。
ワタシなどは、いろんなところから借りてきたモノ、あるいは苦労して自分で手に入れたものを、だいたい百二十分テープに三倍モードでダビングしていました。誰が決めたのか、その頃の裏ビデオは四十五分で一区切り、が標準でしたので、一本のテープに八本は録画しておくことが出来るわけです。余談ですが、その癖がまだ残っているのか、未だに手に入れたものはダビングしてDVD一枚にまとめてしまいます。
そこら辺の安売りテープに三倍モードですけれど、そう画質が劣る、という気もしませんでした。元が元ですし、その頃三倍モードを嫌う輩は、もっと機械的なエラーの方を心配していたように思います。画質も違うんでしょうが、デッキの中にテープが絡まってオシャカになったとか、そういうことが稀にあったということです。だから、三倍モードが広く一般的で、だいたい普通のドラマや音楽番組も、その程度でした。

ビデオに撮るだけで画質が劣る、という時代だったし、見るものはイリーガルな女の人の裸ですから、オマンコを高精細画質で見てもなぁ、ということを当時から考えてました。まぁ、オマンコならまだいいですけど、時にはオチンチンも高画質で映されるわけですし、内容によってはウンゲロとかそういうものを綺麗な映像で見せられてもなぁ、という気がしないでもなかったです。奈乃で、画質と云うこと自体に拘りがなかったなぁ、と思い返す今日この頃。というかまだ生きてたの?

2015年11月21日

やってはいけない裏ビデオ

人撮影、というジャンルがあります。今はどんな家電にもカメラは付いていて、わざわざカメラを買わなくてもケータイで動画が撮れる時代になりました。それがひょいっと他人の目に触れることがある。それがいわゆる個人撮影ものです。余談ですが、海外ではこれをHomemadeと表記するのですが、私はこれを長い間、家政婦もの、と思ってました()。お手伝いを主人が誘惑、的なシチュエーションで。
それはさておき、わりと世の中の趣味人は、敢えて個人で撮影したものを他人に見せたい、という方も多くいて、他人の目に触れて完結、というプレイも数多くある。このジャンルは、古くはマニアもの、と呼ばれて、裏ビデオ創生期から存在していました。昭和の裏ビデオの中に、この辺が曖昧に混ざっていることがあるのですが、その理由は、作りが似ているからです。
プロの機材ではなく民生用のカメラ、というのが大前提で、今はその境目も曖昧になっていますが、次に素人臭い編集、というのがあります。昔裏ビデオは、ある程度映画やテレビ業界のものが作っていたらしいですが、そこから段々素人が撮影、編集、という風に変わってきました。オリジナルの裏ビデオが絶えてしまった、という話をしましたが、個人撮影もの、マニアものにその片鱗は残っているかも知れません。

云ってみれば、彼等は裏ビデオフォロワーで、多くがやはり昭和の裏ビデオ世代の薫陶を、何らかの形で被っています。あんな風に撮ってみたい、の対象に、昔の裏ビデオやそういうノスタルジーが含まれている場合が多々あります。もっとも、この業界、機材は進化しても、撮り方見せ方の王道はさほど変わっていません。それをくみ取るかどうかは別ですが、そこに時代の流れはあまり関係ないと思う今日この頃。御礼は準備済み

2015年11月18日

淫乱父兄参観日

報誌もその頃、出始めていて、それもいわばリスクヘッジの一翼を担っていました。でもそれはあくまでもエロ本だし、今ほどコンビニが全国津々浦々という時代でもなかったですから、普通に堂々と買えるものでもなかった。ビデオデッキ自体が、家族の所有物という時代でしたから、なかなか個人でどうこうするにはヨッコイが必要だったのです。ただし、その流出ものを支えたのも、情報誌だった気はします。
当時は的外れなおちゃらけた評論が多かった中で、オレンジ通信とビデオ・ザ・ワールドだけは辛口で冷静な落ち着いたコメントを出していました。昨日言った、流出ものが出回る過渡期に、オリジナルが見たい、と言い続けたのはこの二誌でした。ただし、制作者側がオリジナルというリスクよりも、裏に流れたものをダビングして流す方が利益が多い、という意味で、流出ものに傾いてしまった時代の流れには抗することは無理でした。
そうすると、やはりあの人気女優の裏ビデオが遂に、という感じで煽らざるを得ず、情報誌が結局どの裏ビデオが面白いかではなく、どの女優がもっとも裏ビデオに適しているか、というような感じにシフトしていったような気がするのです。それを見ている側も、結局、綺麗なお姉ちゃんの無修正セックスが見られるなら、という感じで、オリジナルであることの意義を早々と捨て去ってしまったのです。

結局、流出もの、そして開き直ってウラAV女優の登場、と今に繋がっていく流れは、あらゆるニーズが集約された結果であるのです。需要側、供給側、双方が納得した形が、結局今の海外配信無修正ビデオで完成した、と云っても過言ではないのです。ただ、繰り返しますが、それは逆に何かを置き去りにしてしまった、という気がしてならないのです。流出ものはトピックとしては物珍しく、中にはテレビに出ている人のそれもありましたから、それなりに意味はあった。しかし、それが大勢を占めるに従って、何かを忘れてしまったのです。逆に言えば、私が昭和の裏ビデオに惹かれる理由は、もしかしたらそこにあるのかも知れない、と思うのです。忘れ去られた何かを見つければ、今の時代のアダルトの世界に何か大きな変革をもたらすキーワードになるかも知れないと、大げさに言ってみる今日この頃。コーナンのチラシに出ていた(わかりにくい)

2015年11月17日

顔見世コネクション

出ものが出始めた頃には、いくらか抵抗、というわけではないですが、お手軽に、あるいはリスクが少なく、という感じで見られていて、やはり名作裏ビデオには足元にも及ばない、という認識がありました。その頃のアダルトビデオと言っても、やはり裏に流れるのは数が限られていましたし、疑似本番と呼ばれる、モザイクだから許された行為が主流でしたから、それが外れてもまったく何も見えなかった、ということも多かったのです。
ただし、流出ものにはいわゆるそれまでの裏ビデオにはなかった特徴がありました。逆に言えば、多少オマンコが見えなくても、オチンチンしゃぶっているのを見られたらそれで好い、と思わせる利点があったのです。それは、簡単に言ってしまえば女の子の顔が見える、ということです。名前を見れば顔が思い出せ、美人かどうか、好みかどうか簡単に判断が付く、というのが流出ものの一番の特徴でした。
裏ビデオは一世を風靡しましたが、元々イリーガルなものですし、その入手方法に簡単にアクセスできるというような代物ではありませんでした。多少賭の要素が大きく、今ほどリーズナブルでもなかったので、数万円をドブに捨てた、という話もざらにありました。リスクヘッジという意味では、かなり歩留まりが悪く、やはり一部のマニアのものというのが主で、多くの人はどこからか流れてきたダビングものを、更に見せてもらう、ダビングさせてもらう、というのが一般的でした。

そういうリスクを抱えてやっと手に入れた裏ビデオが、太ったおばあちゃんがブヒブヒいっているだけのものだと、やはりがっかりします。そういうのが当たり、という方もいらっしゃるでしょうがごく少数です。つまり、多くの場合、裏ビデオは実際見てみないと分からない、という部分が大きく、出逢いに左右される曖昧なものでした。そこにあって、名前さえ聞けばその顔の善し悪しがわかる、というのはかなりのアドバンテージだった今日この頃。運ばれたのは私ではない

2015年11月16日

官能学級会

めて裏ビデオを見た直後に、そのあそこを見せてくれなかった彼女とは別れ、少し後に別の彼女と付き合い始めました。その娘はどちらかというとセックスに前向きで、精液を飲む以外は大体やってくれました。余談ですが、勢い余って彼女の口に出した時、そのままキスをされ口移しで自分の精液を飲む、という貴重な体験をさせられました。それ以後、彼女の口に出すことはありませんでした。
その彼女とは、いっしょに裏ビデオを見ました。彼女のいとこの部屋で見ました。彼は結構なコレクションを持っていて、最初は大人数で、あれやこれや云いながら見たんですが、最終的に彼女と二人になって、とっかえひっかえ見ながらセックスしました。見たがるのはもちろん私の方が旺盛だったのですが、まぁ、アトラクションとして裏ビデオは強烈でした。
初めて自分で裏ビデオを手に入れたのも、その彼女といっしょに住んでいる時でした。ちょうど関西に住んでいて、そういう意味では本場です。ちょうどその彼女が喫茶店でバイトをしていて、いっしょにバイトしている女の子に、裏ビデオに出ないか、と常連さんが話していた、というようなことを聞いたことがありました。もちろん、イリーガルな存在でしたし、表のアダルトビデオもやっと世間に認知され始めた頃でした。

その彼女と数年後に別れた頃が、以前に話したオリジナルの裏ビデオから、流出もの一辺倒の時代への境目だったような気がします。つまり、裏ビデオに出ないか、といっていた常連さんは、まだ裏ビデオはオリジナルでなければ作れなかった時代だからこそ、そういう台詞が出てきたわけです。流出ものになると、今度はその業界の話になって、一般人とは少し距離が出来てしまったと思う今日この頃。拙いけど興奮する

2015年11月15日

女性生見学祭

いでにもうひとつ余談を挟むと、フェラチオと同時に、生のオマンコが見てみたい、というのは思春期の男なら誰もが思うこと。今はどうかわかりませんが、そのハードルは私たち世代にはかなり高かった。実際、昨日話したように、セックスしてもそこを見る、ということが叶わないことだったあり得たからです。よく考えると、それで良く挿入できていたな、と思いますが。
それはさておき、ただ、私の場合、生ではないが女性器をあからさまに見た、という経験を既に中学生に時に経験しています。しかも授業中に、デス()。その頃、ちょうど仲の良かったヤクザの息子がいて、席が隣同士で、先生の話を聞かずに後ろの方でザワザワやっていました。そんなある日、そのヤクザの息子が熱心に授業中に薄い本を見ている。見る?と訊かれて、何?と覗き込んだら、そこにありました。
何というタイトルはわかりませんでしたが、無修正の裏本でした。ちょっとSMっぽく、刺青とか入っていたような気がしますが、あまりの衝撃に良く覚えていません。しかし、しっかりと女性器を見ました。写真ですが。そして男女交合の部分もしっかりと拝見致しました。ショックでした。生々しすぎて、確かに興奮はしたのですが、もちろん童貞の彼女無し、でも片思いの娘はいる、という頃でしたので、彼女のあそこもこうなっているのか、と思うとなんだか複雑な気持ちになりました。

そういう経験をしていても、ある意味トラウマのような経験ですが、それでもやはり実際にセックスできる彼女が出来ると、あそこを見たい、と思うわけで、動くオマンコ()として裏ビデオを見ても、やはり物足りないわけです。でも、実際には見せてもらえない。後もう少し、というかバックで繋がれば肛門は見えているのに()。そういう思春期に、裏ビデオを体感してしまったのだから、その後の人生かくあるべし、と思う今日この頃。同級生はみんな熟女

2015年11月14日

未熟な恋愛

少話が前後しますが、その初めて裏ビデオを先輩の部屋で見た当時、私には彼女がいて、その彼女とセックスしていました。サラリと言いましたが、その頃はもう彼女とのセックスに夢中で、ヤりたくてヤりたくて仕方が無い時期でした。しかし、その彼女、フェラチオはしてくれないし、彼女自身のあそこを舐めるどころか見せてもくれない。セックスはさせてくれるけど、それだけ。
女性の反応として、当時はそれがオーソドックスでしたが、フェラチオやクンニという技()がそろそろ一般的になってきた時期でもありました。性にポジティブな方々が好んでチャレンジする、といった感じ。ちょうど過渡期と言える時期で、それを助長したのはやはりアダルトビデオでした。フェラチオやクンニは、プレイとしては知識は広まっていましたが、女性がそれを受け入れるにはまだ時間は必要で、そこをブレイクスルーしたのは、AV女優の皆さんでした。
特に私たちの若い世代は、そういうことに興味津々ですから、女性が許せば男としてはやって欲しくて堪らないわけです。今の世代で言えば、アナルセックスレベルでしょうか?それでも、年齢とともに、フェラチオ解禁()、クンニ解禁、ゴックン、顔射、と、プレイのレベルが付き合う女性ごとにレベルアップしていった、というような過程を目の当たりに出来たのは、今になって思えばなかなかに貴重な時代だったな、と思うわけです。

しかし、当時としてもフェラチオも、オマンコも見えないセックスは物足りないわけです。一方で裏ビデオではバンバンやっている。あんなコトされてみたい、と単純に煽られてしまうのです。その結果、何というか、性欲の暴走というか、女性よりセックスありき、みたいな未熟な恋愛をしてしまった気がします。それも仕方が無い、時代だから、という言い訳は果たして通用するのか?未だに結論が出ない今日この頃。其れも全て性欲の為せる業也