ご注意

このサイトはアダルト・サイトです。詳しくはわかりませんが、ご覧の国の律に従って閲覧してください。とりあえず、子供は十年いよ、一昨日来やがれ(笑)。
そして、大変僭越ながら、当ブログは特定秘密保護法案に断固として対します。だって、真っ先にこういうブログがかれそうだから。
そして、2013年末に亡くなられた大瀧詠一さんに心からの悼の意を表します。どうか安らかに。夢は消え、歌は残る。
なお、このブログは定期更新で、且つ、ある程度まとめて原稿を書いて、小出しに更新する、というスタイルでおりますので、多少最新情報から外れることもありますが、その点は気長にお付き合いください。
ですが、何かと不便なのでまとまりのはじめの記事に「直線ち」というラベルを付けるようにしましたので、そこからお読み頂けると、スムーズに楽しめるのでは無いかと思っております。
ラベル 安全第一に突っ込んでいく危険な男 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
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2017年7月10日

シリーズ 騎乗位を考える(20) 恋のまな板

後に、騎乗位の場合、完全に女性に委ねるというのもあまり芸が無い。主導権は放棄した男性がとるべき道は、どちらかというとサポート、となります。昨日の体位変化だって、女性だけに身を任せるより、男性の介助があれば成功率はグッと高くなっていきます。いずれにしろ、男性は寝転がっているので楽ではあるけれど、コントロールがきく範囲が狭い、ということです。
騎乗位でも男性の方が腰を浮かせて、女性を突き上げることも多々あるけれど、往々にして女性とのタイミングが合わずに快感が浅くなってしまいます。騎乗位は女性の自由度が高い。奈乃であくまでも女性の動きに、男性が合わせるのが基本です。突き上げて、女性をフワフワと飛び跳ねさせるのも一興ですが、それよりは女性の動きがどのようなモノで、そこからどんな快感を貪っているかを観察する方が、余裕も落ち着きももたらしてより深い結びつきが期待できるような気がします。
私が良くやるのは、女性が上下に動いているときに、股間に指を置いて、クリトリスに触れることだ。女性が浮くときは離れ、腰を落とした時に触れる。それが自然と、弾くような動きになり、触れる度に女性が悶えてまた新たな身体の動きをもたらして、見ていると飽きません。背面の時はアヌスを弄り回したりする。余談ですが、対面はもちろん乳房やクリトリスに距離は近いですが、愛撫するなら背面の方が無理がない、という面があります。

いずれにしろ、男性が伸ばす手はあくまでもサポート。女性が貪る快感の介助に徹するのが良い。逆に、女性が騎乗位の時男がマグロになる、と憤るのは、まだセックスが男性主導であるという固定観念から抜け出せない、それは女性の思い過ごしによるところが多いのでしょう。それに迎合して男性がひたすら突きまくる、という時代でも無くなったのだから、その辺は男女それぞれが、お互いのせいを見つめ合い、高め合い、コミュニケーションの果てのセックスを想像して欲しい気がする今日この頃。多少冷夏なんですかね

2017年7月8日

シリーズ 騎乗位を考える(18) 射精介護

ランスから言って、やはり射精に導くには身体を垂直にした方がよさそうです。このとき膝立ちよりも、いわゆるM字に足を開き、相撲の蹲踞のような格好で足を開き、ヒザを立てる方が女性はコントロールがしやすい。ヒザは前に出しても横に開いてもいいけれど、足の裏で踏ん張れるので、身体の自由が効く。手を前に出して男の胸や肩に置いても、下腹部は自由に動くので、先程の前傾姿勢よりはずっとストロークが豊かになる。
ただし、女性のバランスが心許なくなるのは事実なので、その時は男性がサポートするのが賢明です。動きの支点となるヒザに手を触れてバランスをとるのを助けるか、尻を下から抱え女性のピストンを促すのがちょうど良い。私は時々、M字に開いた足の足首を握ってやることがある。バランス面からはあまり好サポートではないけれど、ちょっと女性を拘束した気分になれるので、興奮の度合いが増す。
その格好で、女性は上下に動く。イメージとしてはパンタグラフか、蛇腹みたいな感覚。ストロークの点で言えば、騎乗位ではこれが最高の自由度がある。女性の身体能力にもかかってくるけれど、スピードコントロールもおそらく最も最適で、疲れたらそのまま腰を落としてしまえば好い。すると多少はしたない格好にはなる。いわゆるウンコ座り、という座り方になるのだが、セックスの時はそのはしたなさが興奮を誘うことがままあるのだ。

理想を言えば、ヒザを突いた状態で前後左右に腰を振ってなだらかに高まっていき、足の裏をつけた上下運動で最終的に導かれるのが最も気持ちよくイケるような気がする。この辺は好みの問題なので、一概には言えない。だが、女性の方が自由に導く術を手に入れるのは決して悪いことでは無い。射精コントロールは男性が第一義だが、それを女性の方でもある程度サポートできることも知って於いて欲しい今日この頃。女性の薄着はいいのですが

2017年7月3日

シリーズ 騎乗位を考える(13) リベンジポルノを喜んでいるのは誰だ?

性が最も淫らに乱れている姿を収めるには、ではどうするか。手が伸ばせない以上、そちらにカメラを置いておくしか方法はありません。ただ、画像を撮るデジカメの場合、シャッターを遠隔操作しなくてはいけなく、それは安物のコンデジではまず不可能です。タイマーとかを駆使して、といってもまぁ、想像してみれば分かるでしょう。タイマーセットして、ベッドに戻って彼女を上に乗せている、なんて間に合いませんし、興奮も途切れてしまうってモノです。
そうなると、動画の方にアドバンテージがありますが、モニタリングをきちんとしておかないと、やたらと画面の端の方で写っているだけで、無駄な空間がぽっかり空いている、またそこにピントが合っちゃって大事なところがピンボケとか。何より、セックスしている最中に、テレビ画面の方ばかり気にしているのもなんだか、没頭とはかけ離れているようで、相当な鍛錬が必要でしょう。この辺、ハメ撮りの難しいところです。
結局、最もスムーズな方法は、他人に撮ってもらう、ということです。あるいは他人とセックスしてもらって、自分は撮影者に徹する。このどちらかです。何れも本末転倒、というべき問題を孕んでいますが、逆に、そこまで行ったら大したものです。このリベンジポルノの喧しい時代にあっても、撮り撮られの関係が継続していること自体、これほどの信頼関係の構築は神がかっています。その愛の強さこそ、賞賛に与えるべきです。

つまり、背面騎乗位というのは、最も女性が没頭にするに容易な体位ですが、それが晒されているのは実は、相手の男性ではなく、言ってみれば見えざる観客に向けてである、ということになるのです。そこに撮影が絡んでいるかどうかは関係なく、その時女性は、紛うことなき淫靡な女優である、ということです。私はそのことを、最も賞賛したいと思いますし、だからこそ、表現者としての本能のようなモノを女性は誰もが持ち合わせていることに驚愕する今日この頃。その種は小泉純一郎が蒔いた

2017年7月2日

シリーズ 騎乗位を考える(12) リベンジポルノのための背面騎乗位

面騎乗位は、こと男女の仲の中では微妙な位置を占めていることになりますが、ちゃんとした利点もあります。それは視点を変えて、そのままの状態で、視点を反対側に向けてください。そこがラブホテルで、全面鏡張りのような場所なら、少し顔を上げて彼女の姿を鏡越しに見てみてください。そうです、そこには彼女しか写っていない。つまり、セックスの最中の女性のみがそこに存在している、という状態なのです。
前にここでも言いましたが、下半身さえあれば善いと歌ったのはクラウザー閣下ですが、それは女性ではなく、男性のことをいっている気がします。昔の裏ビデオを見ていると、不必要に男の顔が邪魔をしたり、男の尻の方が大きく写っていたり、とかく男の存在が邪魔な時があります。人ぞれぞれではあると思いますが、そこに自分の顔があっても時には邪魔になるときだってあるものです。その懸念を払拭できるのが、まさに背面騎乗位の状態です。
その効果を確認するには、鏡に映った姿を見るか、最も良いのは男の足の方からカメラを向けてみることです。後で再生する画像でも映像でも一緒ですが、そこに写っているのは女性のみです。しかも股間にはズッポリオチンチンをくわえ込んでいる。最も淫らで扇情的な姿と思われるものが、そこに女性単体で写っているのです。

さてそこで少し話が逸れますが、好みもあるでしょうが、そういうエロい状態を映像か動画に残そうとしても、簡単にはいきません。倫理的なことはさておき、技術面で困難が伴います。わかりきったことですが、どこぞのゴム人間でもない限り、カメラを自分で構えていて、背面騎乗位の女性の正面を写すことは不可能です。あなたの手にカメラがある限り、アナタが写せるのは、彼女の尻や背中だけです。まぁ、それも悪くは無いですが、さっき云った最もエロい彼女の姿は写せないのです。余談ですが、それを気にしたわけではないですが、ある女性は、私が背中からカメラを構えたとき、アヌスに指を挿れて掻き回す、という扇情的なポーズを取ってくれて、それはそれでなかなか興奮する画像が残っている今日この頃。地溝帯の罠

2017年6月28日

シリーズ 騎乗位を考える(8) シックスナイン、上から見るか?下から見るか?

がったまま体位チェンジというのは、セックスの中での理想のひとつです。片時も離れたくないのよ、という愛の表れで有り、抜かずの三発、なんていう古の性豪伝説にも繋がります。しかし、それもまた、理想に寄り添うだけの危険をはらんでいる、ということです。それをまず、バックから背面騎乗位への流れで、充分に認識していただきたい。まぁ、一度抜いたらそれこそ次の体位は何でもありなので、話がややこしくなるんですが()
いずれにしろ、セックスの途中での体位チェンジというのは、男性のリードと、女性の熟練が鍵になってきます。つまり、初心者ほど失敗しやすい。奈乃で、若い内は、十分な余裕のあるときに、男女相互理解の元、アアでもないコウでもない、と云いあいながらトレーニングすることが大事です。そうなると、コミュニケーションが、セックスをエンジョイするためには必要になるということです。これは男性の一方的な主導でも、女性の受け身の体勢でもなしえないことなのは間違いないです。
それは結局、最もスムーズな背面騎乗位への移行、と私が思う状況に繋がります。それはシックスナインからの騎乗位です。不思議なモノで、シックスナインの時男が上か、女が下か、とまるで岩井俊二の映画のようなことを考えると、どちらもありそうなんですが、得てして女性が上の方が多いような気がします。その理由についてはまた別の機会にじっくり考えるとして、少なくとも私も女性が上の方がイイです。

すると、ここでじっくりと女性にクンニすると、当然女性の方が盛り上がってきます。すると、心通い合った仲なら、ねえ挿れてイイ?となるわけです。あるいは挿れて、と強請られる。こちらは当然いいよ、と応える。そのまま阿吽の呼吸が通じれば、女性は男の上を滑っていき、自らオチンチンの上に跨がる格好になる。こちらは仰向けのママ、無防備にオチンチンを晒しておけばいい。すると、焦れた女性は当然、自ら導き、自ら繋がったことに喜びの声を上げる今日この頃。DVD持ってます

2017年2月27日

ビブリア・ビブラ峠

初に言ったように、宗教というものについて、漠然としたイメージすら持たず、ただ作法としての仏教をなぞらえてひたすら八十八カ所を回る旅は、そのうちに私の中に宗教、この場合仏教って一体何だろう、そもそも、いろいろ宗派があること自体なんだか意味判らないし、そもそもお経って何を言っているんだろう、なんていうことをいろいろ考える訳です。しかも、お遍路の最終目的地は、四国ではなく、もうひとつ結願のための聖地がある。それが和歌山の高野山なワケです。
もちろん私はそこまで行きました。更に一泊して、高野山で行われる阿字観という瞑想修行のセミナーも受けてきました。そこで初めて、ちゃんとお坊さんと向き合って話をしました。今思えば随分失礼なことを訊いたな、と恥ずかしくなるんですけど、その時漠然とあった些末な謎をいろいろ尋ねてみたりしました。
阿字観というのは、密教修行の根本となる瞑想法で、それによる神秘体験、というのがあるとかないとか。セミナーの参加者の中ではそれを求めていた方も居たし、不思議なものをその場で見た人もいたし。で、私はというと、云われるまま遣っているつもりでも、なんというか猜疑心が邪魔をする。ちゃんとやれているかどうかの方が気になる。当然なんにも神秘体験なんてない。いっそう不安になる。その後、帰ってきてから一年ほど毎晩阿字観をやってみましたが、それ以上何もなく、アア私はそういう輩なんだ、と悟って終わりました()。それもまた、真理。

神秘体験というのは、ちょうどその時期私の師匠、山川健一氏もヘミシンクで幽体離脱、とか熱中していたので、本店の方で一度話しましたけど、女風呂を覗きに幽体離脱できたらいいな、と、そういう不純な動機でやっているのだから、まぁ、何も起こらないのは当然です。しかし、自分には何も起こらない、と突き放したことが、逆に私に別の結論をもたらしたので、別に悪い結論ではなかったと思う今日この頃。サッカー関係?

2017年2月19日

裸の詩

を張って出来る職業ではない、というような、いつの間にか自分の中に芽生えた抑制が、昨今のAVへの締め付けのような時流が生まれると、結果としてどうしても卑屈になってしまう。出来ることなら私は、そういうことはないんだよ、喩え公衆の面前で恥ずかしい部分をおおっぴらにしても、堂々としていて好いのだよ、ということをまるで細やかな試みではあるけれど、精一杯大きな声では言いたいと思う。
私は趣味で音楽をやっているけれど、どんなに曲を作ったりギターを弾いたり、パソコンでレコーディングソフトを操ったりしても、結局はボーカリストには叶わない、といつも思っている。それはまぁ、私が人に聴かせるほど歌が上手くない、というかメンバーに止められている、というのもあるけれど、何よりボーカリストはその肉体、声ひとつで勝負しているところが決定的に違っているのだ。
私なんぞは結局、楽器を手にしないと自分をさらけ出すことが出来ないのだ。ギターやドラムといった武器を装備しないと、戦うことが出来ない。その点ボーカリストは、声以外に逃げ場所がない。それだけで、もうスゴいことだと思うのだ。最近はボーカルグループ、といっても機械で弄ったり、やれダンスだなんだとプラスアルファで売っている者も多いけれど、それでも歌っている以上、声という裸の肉体からは逃れられない。

表現の中で、肉体から発するプリミティブな輝き以上に貴重なものはない。AVの仕事はまさしく、裸の仕事だから嘘偽りの入り込む余地が極力削られる。昨今、画像処理技術でいくらパッケージを美人に作っても、セックスしている時の顔を撮られたらもうそれ以上隠すことは出来ないのだ。そういうことが出来る、という勇気は充分誇りを持って好いことだと私は思うのだ。そう簡単に他人には真似できないからこそ、矜持は高くそびえ立つと確信する今日この頃。たまには俺にまかせな!

2017年2月18日

2017年はカミングアウトの年

NHKBSの番組で、かの御大()カルーセル麻紀嬢をえらく持ち上げているのを見た。番組自体は、いわゆるLGBTの解放への道、的なまとめ方をしていたのだけど、苦労話はさておき、私の目を惹いたのは、仮にもNHKでばばーんと乳房が放映されていたこと。もちろん、正確には乳房と言うより男が不自然に膨らませた胸板、というべきものなんだけど、とりあえず見ようによっては女性がボロンとおっぱいを出しているように見える映像が堂々と流されていた。
LGBTというと、どうしてもセクシャルな部分が前面に出てきて、性癖、というカテゴリーの中で見てしまいがち。マイノリティーであるが故に、そこにしか活路を見いだせなかった、という歴史があるにしても、結局はそういう性の問題として括られて、それが変態、というような差別的視線に晒されることになったと思う。つまり根底には、性の問題をタブー視して、規範からの半端物として捨てられてしまった。
それは昨今の、AVへの締め付けとひじょうに深い部分で繋がっていると思う。人前で裸をさらすような恥ずかしいことを生業にするのは、普通じゃ無い人、みたいな感覚。ずっと前にココでも話したように、裏ビデオに出ている女性はみんなシャブ漬けでヤクザに売られた人達だ、という偏見。でも、世の中には、見せたい人もいるし、セックスに抵抗が無い人もいる。そういうことが浸透し始めたのは、つい最近のこと。

私がアダルトの世界に拘るのは、人前で恥ずかしいことをする女性達に、ある種の尊敬というか、マイノリティーとして見られるが故に醸成された、独特の気質、反骨精神、そして社会に対するカウンターカルチャーたる表現、そういうものに憧れるからで、もちろん抗えない欲望から発する興味もあるけれど、どうもそこからほんの少し、逸脱している自覚はある。だからこそ、前回の話のように、まるで世間に迎合するような内部告発者にはがっかりしてしまう今日この頃。いろいろとね

2017年2月13日

肛門パック

年は一年、アダルトと繋がる方とは別方向に舳先を向けているので、ココの更新もあまり進まないのもあるけれど、とりあえず、縮小していくネット上のアダルトの世界に併せて、本部の方も負担を軽くする方向に舵を切っている。おそらくそっちは今年末ぐらいには、いったん始末を付けるつもりになっている。まだ判らないけど。アレも、まとめるのに結構苦労するのよ、隠すところは隠しつつ、読み物としても楽しめるものを考えるのって大変。現実はもう随分先まで行っているけれど、人間の行動は流れがあるからね。いきなりクライマックスだけ披露しても伝わらないし。
そういう自分の気分もあって、おそらくは今年一年掛けてアダルト業界も、縮小傾向に移るんじゃないだろうか。少なくとも、コンテンツの管理は厳しくなる気がする。というのも、去年秋ぐらいから、東京熱がうるさく言い始めた、ウチの作品を勝手にコピーして売るな、という苦情。これって今考えると、結構エポックメイキングなコトだったろうな、と思う。
それまで特にネットのアダルトものに関しては、無修正が当たり前、といういわば脱法的なところが前面に出てしまった為に、コピー商品が当たり前になっていたし、逆にそれがまかり通っていたのは、元々違法なものをどうしても勝手だろ?どうせ訴えられないし、と高を括っていた節がある。肖像権や著作権なんていうものが、表の世界でうるさく言われていても、アダルト業界は法律の隙間をすり抜けた負い目もあって我関せず、って感じだった。

それに業を煮やした東京熱は、本格的に訴えまっせ、と言い始めた。まぁ、実際コピーした側も、またか、という感じであまり真剣には取り合わなかった。しかし、今年初めについに海外の無修正に司法の手が入った。これは、東京熱の言い分には大きな追い風になったとも取れる。東京熱側は国際的な法律で始末がつく、という風に理論武装をあらかじめしていたところに、司直も手が出せると証明して見せた訳だから、これは大きな意味を持っていたと思う今日この頃。オマンコよりね

2017年2月12日

快楽青天井

年前にそのカリビアンコムを抱えるASPDTIもブログサービスを終了させました。その前後、付属サービスは機能不全に陥るは、バナーにウイルスが紛れ込むは、さんざんな状態でした。他数社、件のSBSとコンテンツが被っているASPはどこも、ほぼ機能が停止している。報酬が発生しているかどうかも不明で、まぁ、その辺はある程度自動的にソフト的にやりくりしているんだろうけれど、なんというか、一時期の賑やかな感じとはほど遠い。
ちょうど、去年末だったか、いわゆる「おでんツンツン男」の事件の頃に、どこかのニュースサイトにコラムが載っていて、ネットでの商売は、早い者勝ち、コンテンツも初動に乗ればそれなりに儲かるけれど、後追いは必ずと言ってイイほど損をするか、上手くいってお小遣い程度の儲けしか手に入らない、というようなことが書かれてあった。それ以上の儲けを欲すると、自ずと過激になり、違法なラインを踏み越えてしまうのだと。
ずっと前のことで、ココでも何度か話したことがあるけれど、しりあがり寿さんがNHKで仰っていたことで、今の時代、本当の快楽を求めようとすると必ずイリーガルな部分に手が染まる。あのチームラボの猪子寿之さんも、綺麗な女の子を書いただけで怒られる、なんかおかしくないか?と仰っていた。どちらも、快楽の天井が少し持ち上がったせいで、今までのレベルでは満足に届かないことを示している。その天井の部分へも、特にアダルト業界は届いてしまったのかも知れない。

翻ってみると、私も一応アフィリエイトをやっているけれど、儲かったことなんか一度もない。後発組だし、あまりそちらをメインには考えていなくて、もちろんSEOなんて皆無。ただ好きでやっている。怒られたら、そこでなんか考えれば善いと思っている。怒られないウチは、とにかく自分の思うままにやっていく。そういうスタンスだったけれど、なんだか最近面倒くさくなってきたので、そろそろ潮時かな、と思っている今日この頃。既存アフィリエイターには周知なし

2016年12月31日

ザーメン・セキュリティー

ットのツールは常にコミュニケーションの役割として発達してきた。情報発信がその端緒であり、それが例えばこのブログのようなものもひとつのツール。使い方を間違えれば、例の「おでんつんつん男」のように、惨めなレッテルを一生背負うハメにもなるけれど、節度を持って意識的に向き合えば、時には素晴らしい出逢いも演出してくれる。そういうことを今年は体験しました。
それが山本リンヂ監督との出逢いです。もちろんブログ同士のお付き合いでして、ネット上で、という舞台の上ですが、その出逢いそのものは、私の中で非常に大きなエピソードとして、刻まれました。それを説明するのは難しいのですけど、お互いにコメントを遣り取りして、リンヂ監督にはバナー付きのリンクまで貼ってもらって。そこから見えてきた世界が、全く大げさではなく、私にはとても大きな可能性の広がりを見せてくれたのです。
折も折、今年一年のアダルト業界に起きた大波に対する、現場からの声に触れることになり、それもまたタイミングが良すぎる、というか、非常に興味深いものがありました。そしてそこから、たくさんのインスピレーションを得たのです。私のような、表現の切れ端にしがみついている者には、それはそれは貴重な財産になるのです。そういう一年を得たことを、今この時期になって本当に感慨深く思い返すのです。そこで一言、あえて。
ありがとう、リンヂ監督!

この貴重な体験に、私は何を返すことが出来るだろう、ということを考えなくてはいけないでしょう。来年はその応えを何か、出せればいいな、と思ってます。あくまでも刺激を受けた結果を披露するのが、このブログ。当面、閉鎖、強制消去、の憂き目に遭わなければ、くだらないことでも何でもクドクドと語っていきますので、来年もまたよろしく、とありきたりのフレーズで締める今日この頃。良いお年を

2016年11月10日

トランプ・マジック

んなこんなで、まぁ、最近はいろんなことがあって精力減退気味、という報告でした。今年の目標の中には、一年間の読書目標、なんかもありまして、今年は八十冊、を目標にしているのですが、マンガ以外、という制約を着けてかなり手こずっています。もっとも、去年まではマンガも含めて百二十冊、とか云っていたので、かなりごまかしていたのですが。
その中にもちろん、師匠の作品も入ってまして、本当は全部読んでからの方が良かったのですが、手に入れていないものも含めて、今度今度といっていたらいつまで経っても先に進まないので、今回がっつり土台を作ったというわけです。それで最近、すらっと読めるもの、という感じで新書とか、そしてなるべくエッチな気分になるもの、という肝心で積ん読を漁っているのですが、官能小説以外でエロ事を物したものは、なかなか簡単には昂揚してはくれませんな。
やはり自分が気に入るシチュエーションで、思いのままに、というのが結局妄想になり、それを言葉にすると、自然と表現に繋がっていけばいいのですが。でも結局、表現は強烈な欲望をしならせる衝動が事の発端ですから、あながち間違いでもないのです。しかしやはり、その欲望も、健全な肉体にしか宿らない()。すると結論は自ずと見えてくる。

セックスに纏わるエロ事は、基本的に健全なものなのです。それを、公序良俗がどうしたとかこうしたとか、横やりを入れるのはいかがなものか。勃起は全く不健全ではないし、それがもたらすものが刹那の快楽だけではない、と私は今後ともそう言い続け、そう活動し続けていこう、という思いを新たにしました。今までいろんなコトをフィクスするように心がけていたので、そろそろそこから芽生える何かを形にしてイケればいいな、となんだか年末のような話をしてしまった。しかし、もうあっという間にクリスマスだな、と気づく今日この頃。博多の陥没の方が気になる

2016年11月9日

禁止薬物射精

麻疹の前にAVの話をしてきましたが、ワタシはAVを見ながら射精する、ということが随分無くなりました。最近は皆無、といっても差し支えない。もっぱら妄想で充分。映像はそれだけ強烈ですから、衝動にはなるけれど、射精に到る過程を持続させるにはあまり向いていない。もっとも、大好きな女優さんにどっぷり浸かれる訓練が為されていれば、その女優さんでイケるんでしょうけど。
一方で、射精の快感を高めるための努力は惜しまない()。ワタシにとって快感は、幾らか妄想と繋がっていますが、身体の直接の刺激がそりゃ一番大きいですよ。やっぱり何より、身体が資本です。長生きするために健康になろうとは思いませんが、セックスのために健康が不可欠ならば胃カメラだって飲む勢いです。だからといって、セックスに薬物のサポート、というのも多少抵抗があります。
表現に関わる創作をこなす時、例えばブログを書く時、音楽を作る時、ワタシは薬物どころかアルコールの助けも借りません。薬物やアルコールに彩られて新たな表現を獲得した作品を否定するわけではありませんが、自分はやりません、というだけです。自分でない誰かの手に寄るような、そんな気がするだけです。自分の与り知らぬところでモノが作られ評価されても嬉しくないのは、ノーベル賞選考委員には分かるまい()
セックスの快感を薬物は倍加させてくれるのは事実ですが、それもどうなんだか。余談ですが、うつ病の薬は総じて性欲を減退させます。射精しても全然気持ちよくありません。依存性もありますし、その快感を取り戻すのにも時間が必要です。いわゆる禁止薬物はその反対に位置するものですが、そんなお手軽なものでいいんですかね?

昔媚薬のような、得体の知れない錠剤をもらったことがあって、それを飲んでデリヘルを読んだのですが、全然別のところでその女性が気に入らず、ちゃんと立たなくて困ったことがあります。そういうのはワタシには向かないようです。あれ、一体何の話をしていたんだろうか?とにかく蕁麻疹が襲ってきて、今もそれがずっと続いている、っていうコトです。それで、多少更新に時間が空いてしまったという今日この頃。黒髪ロングでしょ?

2016年11月8日

ファイティング・プッシー

入院とかイヤだな、と思っていたのですが、さすがに全身真っ赤なふしぎな模様が出て、あちこちふくれているとそうも言っておられません。せめて紹介状をもらって、大きな病院の初診料だけは免除してもらおう、という覚悟で皮膚科に赴いたわけです。
しかし、結果は蕁麻疹で、というと、ああそう、なら薬出しておきますから、で終わり。あっという間。しばらく飲み薬を飲んでもらいますけど、それで痒みも治まりますから、と。全身調べるわけでもなく、ちょっと腕のところを見たぐらい。なんだそれ。それでも、まぁ、自覚症状が痒い、しかないわけで、痒みが治まるんならそれで善しとする以外にあるまい。すごすごと帰ってきましたよ。
それ以来一週間に一度の通院で、薬を飲み続けています。随分治まりましたが、まだ完治してはいません。まだまだ、薬が切れる頃にはポツポツと出てきます。それで少し強めのものに薬を変えてもらったら、胃を壊して、それはもう大変なことになりましたが、それでも蕁麻疹は治らず。時間はかかるかも、とは最初には云われましたし、痒くなり始めた頃から比べるとマシにはなりましたが、この治りそうで治らない、の時間が何とももどかしい。

ただ、現在あちこち体中ひっかき傷があり、又あの蕁麻疹特有の花びらのように広がる赤い模様が、全身となく出ていまして、ワタシの裸は今のところ、とても他人にお見せできるようなものでもない。まぁ、見せる予定もありませんが、同時に薬のせいかどうなのか、性欲も減退気味で、最近射精しておりません。これはね、結構その事実だけでストレス。射精とは男にとって最も大事なアイデンティティと強く感じる今日この頃。個人医院なんですけど

2016年11月7日

ジーン・マシーン

生の内これまでに二度、あんたそのままだと死ぬよ、といわれたことがありまして。一度が蜂窩織炎、もう一度が超弩級の蕁麻疹。蜂窩織炎は、通院の抗生物質点滴で何とかなったのですが、蕁麻疹は何かあっては責任がもてないから直ぐ入院、目の届くところにいてくれ、となりました。蕁麻疹が表面に出るだけでなく、内臓にも発症しているようで、そういえばクルマの運転中に胸が詰まる感覚とかあったよなぁ。
結局入院一週間、その後しばらく通院して社会復帰して、今に到っているわけですから、無事生還した、というわけですが、ただ何が引き金になって蕁麻疹が出たのかは、全く分からず。その後特に変わったこともなく、約十五年の時が過ぎていました。それがですよ、ちょうどLICKS終わりでやれやれ、と思っている頃、なんだか背中が痒いぞ、ちゃんと身体洗っているのに変だな、とね。
昔女の子とを一緒に風呂に入っている時に、しま♪さんが身体洗っているところを見ると、自分がなんだか全然洗えてないって気がするわ、というほどゴシゴシ隅々まで洗うのが常でして。しかしまぁ、背中ですから洗い残しもあるだろうし、別に今が初めてではないし。と思っている間に、なんだかあちこち、痒くなってくる。最初は季節的に、蚊とか、ダニとかその類いかな、と思っていたのが、気がつくと全身が痒くて仕方がない。

どうもこれは蕁麻疹ではないか、と思ったのがつい二週間ほど前。ただ、前回の時ほど、酷くはない。あの体中が締めつけられるような事態が起こるほど酷くもない。しかし痒い。仕方がないので、薬局に行って飲み薬を買ってきましたが、どうも効き目がない。というか、余計に酷くなったぞ○ヒ!ということで、やっと近くの皮膚科に出向くことにした今日この頃。部屋がシンナー臭

2016年11月6日

ズコバコ超乱交

に入れたのは木下さんの後ですが、もう一人、鈴羽みうという女優さん、この方ももう無修正に軸足を移していらっしゃいますが、ワタシはモザイク入りの方を手に入れました。前にも云ったように、やはり無修正は配信、という料金体系が、ピンポイントには向かない、というものが大半なので、その辺Amazonで買える表DVDの方がずっと手に入れやすいと思います。意外なアドバンテージですが。
その木下さん、何がエロいってね、キスがものすごくイヤラシいのです。ワタシが持っているのは、「ズコバコ超乱交」という作品ですが、まぁ次から次へと男優が現れて、オマンコ触らせてあげる、あるいはオチンチン入れる合図のように、先ずはキスをするのです。それがなんだかものすごくエロい。全く積極的でなく、顔が近づいてきたから受け入れる、という感じですが、一度くっつけると当然ベロチュー。
この受け入れている感覚が、多少ロリの入ったお顔と相まって、男の嗜虐感をそそるわけです。もちろんそれは、乱交というシチュエーションや、まぁ誰でも同じようにというわけにはいかないのでしょうが、まさか他人のキスを見て欲情するとは思わなかった()、というのが正直な感想で、且つ驚きでした。それもまた、セックスは挿入だけがセックスではない、ということなんでしょうな。

木下さんに飽きたら鈴羽さん、という二本体勢で、ここのところAVは流れっぱなしなんですが、そうこうしているうちにヤツが来たわけです。一仕事終えて、ホッとしたのか、あるいは何か魔が差した、というより、誰か何か、俺を呪っているヤツがいるんじゃないか?そういう相手には事欠かないからな、と思う間もなく忍び寄ってきたあいつ。実は今もそいつが隣にいる今日この頃。やる気になるね

2016年11月5日

四角いアソコ

少時系列的には前後するのですが、霧島さくら、という女優さんがいらっしゃいます。彼女はすでに無修正も配信されていますが、ワタシはモザイク入りの方を手にれました。単純に顔が好み、というのと、やっぱりおっぱいが大きいというのと、モザイクや無修正との垣根が低くなっていた感覚が、自分の中にあったので、なんとなくですが、お得な総集編を手に入れました。
モザイクと無修正の違い、というとあるかないか、という違いに過ぎないのではないか、という気がするのは、やはり簡単にオマンコが見られる時代、あるいはもう見飽きたほど見た経験のせいでしょうか?モザイクの向こうにあるものは、確かに詳細には分かりません。でも、そう思えばわりとうっすらともう見えている。それで充分なんだな、というのはこの歳になって始めてモザイク入りに目覚めたワタシの正直な感覚です。
無修正で見られるものを、わざわざモザイク越しに見なくても好いじゃないか、というのがこれまでの感覚でした。でも、おそらくそれはある一定の年齢までか、あるいは今の時代、もうあるなしの問題じゃないんだな、と悟りました。やっぱりセックスは、モザイク越しでも、無修正でもセックスはセックスなんですよ。もっと云えばオマンコにオチンチンが入るだけがセックスじゃないんです。

同じ様なことをリンヂ監督も仰ってましたが、そこはセックスの一部なんですね。分かっていたようで、今更ながら気がついたような気がします。もっとも、霧島さくらさんは、ワタシの価値観のブレイクスルーに貢献したというのもあって、その時点ではベストでしたが、木下さんを手に入れてあっさり二番手に落ち着きました。最近はあんまり見てないです()AVというか、性嗜好のそこが罪なところ。熱している時間はそう長続きしない今日この頃。もちろん美しいものもあります

2016年11月4日

破壊女王・木下柚花

体付けても本店の方にはちゃっかり答えが書かれてあったので、何の意味もないですが、その頃、ワタシはズッポリ木下柚花さんに惚れ込んでおりまして、手に入れた総集編DVDをリピート再生していました。最近は、少し前の作品の美味しいところだけを抽出したベスト盤、みたいなものが数多く出ています。しかも、みっちり四時間とか、二枚組八時間とか、三枚組とか。
お手頃感もあるので、そういうものばかり手を出しているのですが、女優さんは別に今が旬とか、そういうことには興味がないので、気になった娘がいればぱっと見の印象で手に入れる、という感じです。奈乃で、木下さんもなんとなく、ネットに上がっている画像が好みだった、というのが最初だったのではないでしょうか?先日、確かこのブログで佐伯某をピックアップしましたが、それのついでに安いモノを、っていう感じでした。
一目逢ったその日から、というのは何かの文句ですが、それに近く、やはり何かのついでに流していてまず、あのオッパイに魅とれてしまいました。ワタシの場合天然か、加工物かは関係ありません。バンと出てボンとあればそれで好い。多少の不自然さには、顔が好みなら拘りはないです。そうです、やはり美人の巨乳には勝てませんよ。人の好みはいろいろですが、オッパイとセットであのご尊顔でもうメロメロです。

オオッと思って以来ほぼ一ヶ月、それからLICKS制作期間中ずっと、もうずっと木下柚花さんのAVに浸りきっています。正確には今も、あの時ほどの熱狂は薄れましたが、何というか、安牌()。美人の裸には無修正も、モザイクも関係ないな、って思います。まぁ、木下さんの方は無修正はありませんが、そういう意味で、ココでも話したような拘りや、些末なセオリーも軽く足蹴にする破壊力を持って私の目に飛び込んできた今日この頃。そういう意味でもど真ん中

2016年11月3日

プッシー・シェイク

えばこうやってパソコンを前にする時、あるいはギターを弾いたり曲を作ったりする時、まぁ、簡単に言えば耳がふさがっている時。目は普通仕事をしているものですが、時々物寂しくなる。元々ワタシは飽き性なので、集中力が掻爬長く続かない。奈乃で、不図、息抜きによそ見をしてしまう。だいたいはテレビの画面を無意識に見てしまう。その時、真っ暗な画面では味気ない。
じゃあ何か、DVDでも流そう、ということになる。しかし、例えばドラマやアニメの続き物、映画なんかは、ストーリーを追いたいのが普通なので、目だけで追えるものでもなし、そもそも他にコトをしながら、というのはあり得ない。ライブDVDなんか、さすがに音を消して見るもんじゃないですよ。まぁ、音を流せる状況の時は、そういう時もありますけど、音楽を作っている時とか、ギターを弾いている時は逆に邪魔です。
結局何が一番最適か、というと、やはりAV、お嬢さんの裸、ということに落ち着くわけです。いつから始めたのか、ギターの練習の時は、AVを流す、という習慣が出来てまして。元々、AVは表も裏もほとんど音を流すことがない。どうしても喘ぎを聴きたい時は、ヘッドフォンをします。まぁ、一般家庭で、大音量で喘ぎ声を流せる環境というのはそう簡単にあるものでもないでしょうが。

で、話が前後しますが、LICKSを作っている時は、たまたまメディア・プレイヤーがアルバムのリリース順に再生してくれる機能があることを、つい最近知りまして()。ならば、師匠と付き合う時間ならやはりストーンズをデビューアルバムから聴きながらやった方がイイでしょう、と思いたったわけです。その結果、テレビの画面には、音を消したAVを流すことになったわけです。さて何を流していたのかは明日話すことにする今日この頃。副音声でね

2016年11月2日

放免祝い

匠と勝手に呼んでいますが、まぁ、そういう存在の表現と、ちゃんと向き合うというのはいろんな苦労がありますが、独特の緊張感と、そして楽しさがあるものです。ストーンズをガンガン掛けながら、テレビでは音声を消したAVを流し、コツコツタグ打ったり、コンテンツ用の文章を書いたりとか、そういうのが一番楽しい環境なんだな、というのも新たな発見でした。何か後ろめたさのようなものが希薄で。
しかし、実際の作業はそういうことに慣れていないこともあって、結構時間がかかりました。当初の予定をはるかに過ぎて、完成がここまで延びてしまいました。正確には一ヶ月ほど前に完成していまして、一応アップもしてありますが、つい先日当の師匠本人から承諾が来まして、こうやっておおっぴらに話せる、ということになりました。まぁ、いずれにしろ、興味がない方には何でもないことでしょうが、話のネタに覗いてください。
その作品リストというのも長年の念願、という一面がありまして、まぁ、これで完成、というわけではないのですが、一応の器は揃えたので、後はそこに注ぐ酒を用意、と。まだまだ読んでいないもの、特に文庫は読んだけど、初出の書籍はまだ、というものまで網羅しようと思っていますので、これからも時間を掛けて読んでいかなくてはいけません()。それでも、一段落は着いた、という感慨は深いです。

ということで、またしても結構な時間をとられましたが、今年の大仕事の一つを終えたのでやれやれ、と思ってところ、ヤツがやってきたのです。十五年ぶり、二度目。災いは忘れた頃にやってくる。しかしその前に、せっかくの話のついでに、音声を消して流したAVについて話した方が、このブログの趣旨にかなっているかな、と思いますのでそちらを沙希に話そうと思う今日この頃。三分一ぐらいもらえたのでしょうか?